社長の息子が辞めるとき3

こうして新しい機機械をまかされることになった。

と同時に主力となる機械の補佐という形で、機械を兼任することになった。

主力機械を担当するのはクリス○村似のクリスおじさんだ。

クリスおじさんは勤続30年とにかく要領が悪い。

シンプルなものも複雑に考えすぎて間違える、

等の編な癖があったが、本当は優しくて気さくなおじさんだ。

(会社以外で出会ってたら普通に好感度高かっただろう…)

それと補佐はもう一人

勤続10年アキラおじさんだ。

元々、荒々しい工事現場などで働いていたため口が悪い。

方言で怒鳴り散らしてくる。

が、普段はどこにでもいるおじさんだ。

よく、スマホの使い方なんか教えた。

っていうか、重機扱えるし大型免許持ってるのにどうしてこんな小さな工場に?

って感じて普段は3人でメイン機械を

たまに一人であの新しく難しい機械をやる

って感じた。

なんだかんだ約7年、こんな感じでした。

メインの機械、約半世紀近く動いてるこでいろんなところがガタきてて

その都度小さな不具合を治しながらだましだまし使ってました。

いろんな工具や溶接機を触らせてもらえたのはこのおかげでもあり、良い経験ができたと思ってます。

機械もそうだけと、一番厄介なのは人間関係なのよねー。

社長の息子が辞めるとき2

こうして働くことになった親族経営の会社、規模はというと、従業員20名でまずまず。

県や国からの仕事もしばしば受け業績は悪くない。

それなりに忙しい。

しかし、面接のときに衝撃的な事実を聞かされる。

基本給13万だったのだ。

手取りで11・8万だ。

今考えれば恐ろしく低賃金だが、初めての会社だし、彼女(後の妻)と同棲しており、二人合わせて24万の稼ぎだったので低賃金という実感はあまりなかった。

しかし、子供が生まれ、自分一人だけの稼ぎになったとたん実感した。

自分が会社に入ったと同時に常務は専務に、専務は社長に、社長は会長になった。

つまり、父親が専務、伯父が社長だ。

僕のことを、あいつは専務の息子だから下手なことはしない方がいいぞといっている人もいたようだが、大体の人は関係なく接してくれて、厳しく指導してくれた。

自分は物覚えが悪く、手際も悪いので仕事になれるまで時間がかかったがゆっくり覚えていった。

そして、入社して数ヵ月後、先輩から会社で一番新しい機械を習うことになった。

先輩といってもいとこの兄だ。

一番始めに言われた言葉が

「俺もよくわからない」

だ。

どうやら感覚でしか扱えない機械で、操作方法の手引きはあるが実績がないので自分たちの経験を随時ノートに記してマニュアルを作ろうと言われた。

先輩も機械設置の際に職人から3日間教わっただけだという。

ちなみに、他の作業員は50代以上で一番若いのが自分で次にその先輩だった。

だから新しい機械を覚えさせようとなったそうだ。

すごく難しく一人前になるには10年かかるとされている機械。

すっごく油が跳ねるし、難しいし、工場の位置的に暑いし一人で孤独だし、辛かった。

けど、もの作りは好きだし、黙々と作業できるので向いているなと感じた。

そうこうしているうちに、2週間で初めて一人で作った製品を出荷した。

社長は

「大丈夫なんだろうな?!」

と言ってきたが、そんなに気になるのであればどうして製品を見ようとしなかったんだろうと思った。

そのころから社長に対して不満な気持ちはあったのかもしれない。

社長の息子が辞めるとき1

私は転職しました。

以前は親族の経営する町工場で働いていました。

そして、父親が専務、伯父が社長でした。

僕は跡継ぎなので、将来はきっと社長になったでしょう。

なぜそこを辞めたのか、どうやって辞めたのか。

一つ一つその記憶を整理していこうと思います。

そして、僕と同じ境遇の人の参考になればと思い、書いていこうと思います。

よろしくお願いします。

まず、入社を決めた理由です。

通信制の大学に通いながら日雇いバイトに2年間従事していた私は彼女と一年間同棲後、結婚することにしました。

籍を入れる年と日付は暗黙の了解というか、「この日にしよっか」みたいな感じで決まっていました。

とうとうその日が近づいてきたのです。

いつまでもバイトじゃいけません。

向こうのご両親も心配でしょうし、正社員として安定した収入を得るために父親に入社させてほしいと相談しました。

コネです。

後日、すぐさま面接が行われました。

私服です。今考えればふざけてますね。

当時は、大叔父が社長、伯父が専務、父が常務でした。

ちなみに、会社を立ち上げたのは今は亡き僕の祖父です。

ゴリゴリの親族経営です。

もちろん、翌日から働くことになりました。

一族の者が会社内に増える、少ない工場メンバーが増える。私の入社を喜んでくれました。

日雇いバイトで工具を使ったりしていましたし、汗をかく仕事が好きなので工場の仕事はすんなり馴染みました。

しかし、人(仕事仲間)には最後の最後まで慣れませんでした。

こうして、7年間親族経営の会社に勤めることになりました。