社長の息子が辞めるとき 6

今回は僕が新しい機械で頑張ったこと書きます。

前にも記しました通り先生から「頑張れ」としか言われなかった機械

頑張って使いこなします。

まずは基本操作

ボタンが数個とシンプルだが、機械と材料が外れやすい

外れると一からセットし直し

それは目視できないので音だけで判断する

耳がなれるのに数ヶ月かかりました。

それに加え、材料が外れた音から数秒以内に緊急停止をしないといけない。

瞬発力も必要だ。

後々慣れてきてなは歌歌いながらできるレベルになった。

一番ややこしいのが材料のセッティングだ。

うまくセットしないと材料がすぐに外れてしまうし、製品も汚くなる。

そして、これが上手く行かない。

セットは完全手動、それをxyz軸まで決め、さらにそれ全体が前後し、パワーの強度も決める。

調整角度は無限大∞だ。

その日の製品によってかなり変わる。

同じ鉄製品でも微妙に配合されてる成分が変わるから二つとして同じ鉄製品はない。

また製品を曲げるために使う「筒」と「ヘラ」

筒もいくつか種類があるしヘラはよくダメになる。

その度にてで曲げる。

その具合によって最初のセット位置も大きく変わる。

気が遠くなる。

毎回毎回できる気がしない。

でもなんだかんだでやった。

半日かかるときも、あれば3日かかるときもあった。セットだけで。

それをいとも簡単に

きれいにまっすぐ材料を通せば綺麗にできるだろ

と社長は言う

じゃあてめぇでやれ!

といたいですがスルーしてました。

でも辞める直前はあなたがやってくださいよ、やったら解りますよ!とぶちギレた。

まあ、そこはおいといて、結構手首に負担がかかる仕事だったので腱鞘炎になりそうになりながらも頑張った。

ある日、県の注文でかなり大口の注文がきた。

他の現場の仕事を挟みつつ、1年半かけて作った。一人で。

製品の総全長は14キロ

自分でもよくやったとおもった。

誰からも称賛されなかったけど専務である親父はただ「おつされかん」とだけいった。

ああ、僕はこの言葉が欲しかったんだ。

少しトゲトゲの心が丸くなるのを感じた。

それからしばらくして、県の注文が入った。

これは僕の機械とは別の製品で5年後輩が、担当した。

できるときは積極的に手伝った。

かなり残業した。この2か月時間が無かったからね。

一番頑張ったのはその後輩だ。

彼にボーナスや手当てを売上金からあげればよかったものの、社長とそのどら息子は

売上金で会社の飲み会を開いた。

自分が飲みたいだけだろう、後輩に頑張ったな飲め飲めと言いながら

僕も頑張ったけど?

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